夢のその後が知りたくて。

このところずっと、
ラジオ番組で話す構成台本を書くために、
ドリームセラピストとしてこれまで聞いてきた夢、それは、寝て見た夢のことだけど、
夢の主さんに「あのときの夢を番組で話すよ」「あの夢を番組でお話ししたい」「その後どうなったかお聞きしたい」と連絡しては、
やりとりしたり、直接お会いしてお話しを聞いたりしている💓
そんな自分を、時々、なんて暑苦しいヤツなんだろうと思う(笑)
暑苦しい、けれど、それがやりたい。
夢を通してその人の人生に触れてきたという思いがあるから、夢と同じように、また、その人の人生に関わってみたいのかもしれない。
いや、その人に私の人生に関わって欲しいんだわ(笑)
なんてことを思うと、また、うふふと笑えてきて、私は私が愛おしくなる。
先日、年内の収録がすべて終了したその後で会った友達とも、夢のその後を聞きたくて連絡を入れての逢瀬だった。
新宿、小田急デパートのエレベーターホールで待ち合わせて、
グリル満天星へ✨✨⭐️
「エビフライとハンバーグが食べたい」と、
お子ちゃまとしか思えないメニューをふたりしてリクエスト。
そのくせ「今夜は、ワインを飲もうと決めていた」
面白いことに、夢を味わうときのグラスは、なぜか多くがワインになってしまう。
彼女は、時は違えど同じ恩師のもとで夢を勉強した仲間でもあったから、
私は、10年余り前の、夢を学んでいた頃の、当時わからなかった夢の意味が、今、見直してみると難なく解けて、
「ああ、こういうことだったんだと腑に落ちて、涙が出たりしてる。ラジオのために夢を整理してるおかげで癒しがすすんでるのよ。ほら、先生は、全部は、答えを教えてくれなかったでしょ」
と話すと、彼女は不可解な顔をして、
「私の時は、みずきさんより何年か後だから、先生変わったのかもしれない。いつもズバリ言ってた」という。
それで、思い返してみると、やはり、はじめの一年目は、断片的にしか言葉をもらってないようだったし、先生は確かにズバリ系だったので、ふたりして、当時の私が夢の答えをわからないままいた理由を考えてみた。
それで、彼女がいうには
先生には、私が本当に辛い現実を夢で救われるようにして生きてきているのがわかったから、
その頃は、夢の真の意味を控えめに伝えていたのじゃないか、
ということだった。
それを聞いて、
微かな音を立ててパズルのピースがはまったように感じた。
私の夢は、
時にファンタジックなフィルターがかかっていて、実に素敵だった。
夢のクラスでシェアすると、
みんなが感嘆の声を上げる時もあった。
実際に私は私自身の夢に夢中だったし、
絶対に意味があると思っていたから、
先生は、そんな私の夢を、文字通り壊さないようにしながらメッセージを伝える努力をしてくれていた、、、
その考えは、私の心に沁みた。
この言葉を、私が目の前の彼女に言わせてる、
と、どこかで感じながら、
心でもう泣いていた。
言葉にしなかったけど、
言葉にしない愛を見た、、、ようで。
当時は、夢の解き方がよくわからなかった。
でも、わからなかったから、わかるまでやり続けたいまがある。
私の夢の解き方は、先生とは違う。
今やっている、オリジナルだと思える解き方ができるようになったのは、教わったロジックだけではできなかったからだ。
私は一瞬でそんなことを考えて、
泣き出しそうになっていたに違いない。
「みずきさん、スープ飲みたい」
彼女が普通の声で言った。
「オニオングラタンスープがいい」
・・・・
・・
スープは、
予想通り、濃い味がした。