
12日に、
浅間大社にお参りに行って来ました。
浅間様は、どちらのお山にあっても、やはり噴火と関わりがあります。
今回は、
富士山と浅間大社の湧玉池に関して、
もう、前から何度もメッセージを貰って祈りに通っているお友達に連れ添っての詣でとなりました。
それから、
そのお友達が浅間大社の傍で何度も偶然に出会ったある人に連れて行ってもらった神社へ、
その神社の古くからの神様との対話をするというのも目的でした。
こういう話は、今までは恐れ多いというか、私がすることではないように思えて、
なかなかアップできなかったのですが、
これからは、できるところから、アップしようと思っています。
たぶん、皆さんの近くで起きていることと重なったり、
似たような活動をしている人がいると思います。
*

始めは、富士宮から徒歩40分くらいの倭文神社。
住所は「富士宮市星山一番」
この、住所にとっても惹かれますね。
縄文の時代、太陽、月、そして、星の信仰がありました。
この星の信仰は、宇宙との交信です。
しかし人間の意識に大きな変化が起こり、
それで縄文の神々は地中深く隠れてしまったと聞きました。
そののち、社寺の記述も様式も意図的に変えられ、古くからの信仰は葬られていったようです。
この縄文の神々が、少し前から蘇って来ていると聞いています。
多くの方が、縄文のエネルギーを感じて表現をし始めているように感じています。
私たちは4人でした。
この神社の鳥居からその先へ行くときに、
それぞれひとりずつ、どんな風に神様が迎えてくださるのかをみようとなって、
まず、私が一番にご指名。歩いて行くと、鳥居の手前で、何かにぶつかった感じがしました。
そこで、立ち止まっていると、
後ろで見ていた仲間から、「観音堂でお参りをして清めてから来てほしい、と言ってる」と声がかかりました。
私たちは、1人が代表で神様のことばを翻訳して皆がそれを聞きますが、後の全員がアンテナを立ててサポート、修正をかけていきます。また、場面に合わせて代表者は変わります。
それで、右手にある、観音堂にお参りをして、
再度鳥居に向かうと、今度はくぐることができました。
やわらかく、やわらかく迎えられた感じがありました。
そんな風にして、何度かお参りに来ていた1人を除く、
初めてこの場所を訪れた3人は皆、観音堂にお参りをしてから鳥居をくぐることになりました。
ここは観音堂を守るために神社があるのでなく、観音堂が神社の聖域を守るために設置されているのです。
神社の手前で、どこに立って何をしようかという前に、
ご神木の杉の木が気になります。
とてもまっすぐなエネルギーが空に向かっていて、パンパなく力強くエネルギッシュなのです。
そうやってうろうろしていると、「いいから早くやりましょう」と、声がかかります。
人間ができることは、エネルギーを受けとめること。
エネルギーは受けとめられるのを待っている。。。
私たちは、お社の階段の手前に思い思いに立って、
神様との対話の準備をしました。
「きてくださって、ありがとう・・・待っていました・・・・・」
お礼のご挨拶が続きます。
心地よい浮遊感・・・きれいな青。あお・・
ひとりひとりに、メッセージももらいました。
私には「もっと自信をもって在ることができますように・・・・」。
語尾が「祈ります・・」とあったのを、翻訳の人が「祈る?・・・願います・・・?」と言い換えたのですが、
もう一度「祈ります・・・」と言い直し、「神も祈るのか」とひとりごとのように付け加えました。
後で、神様が祈ることに関して、皆で質問すると、
「人間の心が平和でありますように祈ります、と、神様は祈っている、というのと同じだと。」
と、帰ってきて、納得です。
それから、お社の後ろのご神体にお参りさせていただました。
こんなメッセージがありました。
「4人で行くと、騒がしいので、一人ずつ来てください」
私たちは順番を聞いて、ひとりづつ、左回りか右回り、どっちで行くのかなど、
確認してお参りをしました。
どっちでもない人がいたりして(笑)、こういうのって、マニュアル通りであることがないのです。
こうするのが通説というのは今まで一度もありません。ぜんぶどうしたらいいのか、質問しながら進みます。
私のお参りはどんな感じだったか・・・
何時までも終わらない感じ、だったとだけ書いておくことにします(笑)
後で、騒がしい、という言葉の意味を話し合ったのですが、
これは皆がおしゃべりして騒がしい、というのではないのです。
たとえば私の場合、複数でお参りするときに、
「この人の先にいっていいのかしら、この人の前にいたら申し訳ない、もう少し脇にいよう・・・」
などと、つい考えます。
神様は、こういった心の働きを、騒がしいといっているのでした。
ひとりでいるときは、自分が中心にいられます。
複数になると、人間はつい気遣いをするものです。
これが心に騒がしさを生み、じゅうぶんに受け取れるはずのものが受け取れなくなる、ということなのでした。
それで、ひとりでいらっしゃいと、言ってくださったのでした。
気遣いというのは、本来のその人らしさを制限してしまうというのを、
改めて知りました。
私が1人でいる意味も・・・
お参りが済むと、お社の気配はそれまでと全く変わり、
親しみをこめて私たちを包んでくれているのを感じます。
それから、ご神木との対話を楽しんだのは言うまでもありません。
*

浅間大社の湧玉池では、
倭文神社で頼まれた、受け取ったことをやります。
皆で祈りの中で。
そうすると、
水が変わります。。。。。
最期に、浅間大社でお参りをしました。
そこで、この神社の神様から「ありがとう」を受け取ってくださいとありました。
参拝の人が通るので中断してどいていたら、
まだ終わらないので続けて受け取ってください。とあって、
再度並んで受けとめました。
・・・・・
その後、やっと雲が晴れて、富士山を拝めたので、
皆で喜んでそれを写真に撮っていたら・・・・
この祈りの旅をナビゲートしたお友達が、これまで浅間大社の傍で何度も偶然に出会ったという、その人に、
この時、また出会い・・・
友達はあまりのことに後ずさりをした・・・・
で、次のお話が始まります・・・・
いくつもの出来事の中から、
私に関することやおおまかなことを書きました。
鑑定の場ではこういうお話もするのですが、
ブログの愛読者の皆さんにも少しお話ししたくて。
思いを伝えようとするのと違って、起きたことをそのまま書くのってすらすら行ってしまいます。
このすらすらの気持ち良さを、
もっと自分に許せるようになると、私も変わりますね(笑)
人の心の、祈りの持つ力が、
ほんとうに、ある。
私にも・・・
それをリアルに受け容れられたように感じています。
この経験をさせてくれた仲間に、
そしてそれを許した自分に、
感謝です。
テーマ:癒しと潤いのある生活
ジャンル:ライフ